◇東京本部<道場長紹介コーナー>    [2016.10.30更新]


◆人に歴史あり、道場に歴史あり◆

東京本部加盟道場長・クラブ代表者の紹介コーナーです



   <第2回>杉本孝宏 准師範    
   <第3回>大塚祐介 指導員
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【道場長インタビュー】(最終回/2016.10.30掲載)
 

◆東京ベイサイドクラブ長
 角田仁司(Sumida Hitoshi)師範代


「道場長インタビュー」の最終回は、東京ベイサイドクラブ長の角田師範代の登場だ。

強靭な心身と海外留学&ビジネスで培ったハイレベルな英語力を駆使し、クラブ運営だけでなく、海外空手家とのパイプ役を地道にこなす姿に、協会幹部も厚い信頼を寄せる。

古武術の代表者も務め、 厳しい自己鍛錬と沖縄伝統武術の普及伝承に邁進する”タフガイ”の素顔に迫ってみた。


■生年月日を教えてください。


1958年(昭和33 年)11月3日(文化の日) おめでたいです(笑)


■ご出身は関西地方とお聞きしましたが?

ええ、京都市中京区壬生渕田町という、絵にかいたような昭和の庶民が住む京都の町屋が故郷です。


■普段のお仕事は?

現在は都内で会社経営をしています。


■少年時代の夢を聞かせてください。

ずばり、巨人軍の選手になることでしたね(笑)。私が子供の頃は、なんせ時代のトレンドが「巨人、大鵬、玉子焼き」でしたから。


■以前は他流派で稽古していたと伺いましたが。

若い時代に松濤館の空手を12年ほどやってました。


■趣味や特技って何ですか?


子供の頃から運動は得意で、スポーツ全般何でも好きですね。今では もっぱら観戦ばかりですが・・・。他にはギター・ウクレレ・三線など弦楽器が好きですが、すべて自己流なもんで、ポロロンと指で弾く程度しかできません。 (笑)


■上地流修行のきっかけを教えてください。


学生時代に空手の研究をしている中で、「沖縄には上地流という独特な流派があるが、それは激烈な鍛錬で肉体を鍛え上げ、動物を思わせるよう な動きの中から必殺の技を繰り出す、世の中にあまり知られていない神秘の流派である」みたいな内容の紹介文を何かで目にした時から大変気に なってました。息子が空手を習いたいと言い出したので、自宅近くで空手道場を探していたところ、元々興味を持っていた上地流の道場があることを 知り、迷 わず入会して、やがて10年になります。


■上地流を学んで良かったと思う点はどんなところですか?

学生時代(松涛館時代)は、とにかく競技で勝つことを目的に修行に励みましたが、年齢とともに、そのような空手はいつまでも続けられるわけではないことを悟り ました。上地流では競技の世界での勝ち負けや他人との比較による体力的・技術的優劣に左右されること無く、自分のペースで鍛錬しな がら奥義を追及してゆくこ とができると思います。20〜30個の型を覚 え、それを稽古し続けるのは容易ではありません。数少ない型を深く掘り下げ て研究 、反復稽古してゆく一方で、 肉体の鍛錬に重きを置く上地流は、 合理的かつ実戦的な流派だと思いますね。


■協会渉外部長としてのご苦労、喜びなど
をお聞きしたいのですが・・・。

私は特に世界各国への情報発信、各国の人達からの問合せへの対応、海外メンバーとのコミュニケーションを担当しています。当協会の海外メンバーや各国の上地流諸会派の方々のみならず、世界の空手愛好家の方々とコミュニケーションをとることができるというのは大変嬉しいことですし、その立場にいられることを幸運と感じています。
一方で、世界の空手愛好者の空手道や武道に対する考え方や姿勢、また、それぞれの国における空手道についての知識や理解がああまりに多様であることに驚きを感じ、上地流唐手道と当協会の本質を伝えることの難しさも痛感してます。
世界の国々にはそれぞれの伝統、文化、考え方があり、私達日本人にとって自然であり当然であることが、他の国々の人々にはなかなか理解しがた いことが多いのは容易に想像できますが、空手道・武道についてもそれは同じですね。
私達は空手道発祥の地沖縄の伝統空手を修行していますが、それを誇りに思うと同時に、世界各国における空手道の多様性も理解しなければいけないと思います。私は渉外部長として、この現実を理解し、バランスの取れたコミュニケーションを目指したいですね。



永年の海外渉外活動に対し、協会長から感謝状を授与される角田師範代(写真中央左、2015.5 協会総会にて)



■修行の途中で楽しかったことや辛かったことなどあれば教えてください。

空手修行ができること自体に、そして空手を通して出会えた新たな友と共に稽古ができることに幸せを 感じます。修行が辛いということはありませんが、加齢とともに体の各所、特に股関節の可動域が狭くなってきたり、痛みを感じることが不快ですね。学 生時代、楽に繰り出せた技を未だにイメージしているのですが、現実は思い通 りに体 が動きません(笑)



■ちなみに座右の銘は何でしょう?

あまり考えたことはありませんが、あえて挙げるなら「明朗 闊達」です かね。人生を歩むなら、小事にこだわることなく、前向きに生きて行きたいと思います。


■ご自身の性格と、血液型をお聞かせください。


大らかだと思います。そして確実に大雑把です。という事は、 疑いなくO型です(笑)

■これからの夢は何ですか?


国内外を問わず、自分の人生に影響を与えてくれた場所を訪ねたり、友人と再会 したりして「自分ヒストリー」を探索してみたいと思います。特に、アメリカのカリフォルニアとマサチューセッツには空手道場も含めて、是非もう一度訪ねたい場所がたくさんありますね。

■最後に東京本部会員の皆さんへメッセージを一言。

一言で空手道と言っても伝統の武道空手、競技主体のスポー ツ空手、フルコン空手、総合格闘技の一部としての空手等々、空手自体がかなり多様化してきていると思います。また、空手道の門をたたく人の目的も、オリンピックを 目指す人から健康維持の人まで多種多様です。
現代の空手道はその多様性に十 分対応できる武道だと思います。ただ、どのような目的で、どのような流派・ 会派に入門しても、忘れてはならないことは、空手道は武道である、ということです。道場に来るということは、修行しに来るということですから、一歩道場に足を踏み入れた瞬間から、武道の修行者としての心構えを持つことは 基本中の基本だと思います。
決して難しいことを言うつもりはありません。まずは、礼に始まり礼に終わる、挨拶を励行する、姿勢を正す、というような武道共通の所作ができているか、もう一度各自で確認してみたらいかがでしょうか。
空手の技術を身につけることも大切で、楽しいことですが、この基本的な所作を身に付けるだ けで、日本人としての品位を少しアップできるのではないかと思います。
私も皆 さんと一緒に、空手を修行することでちょっと今までよりカッコいい日本人になれるよう頑張りたいと思いますので、これからもよろしくお願いいたします。



【道場長インタビュー】(第13回/2016.10.8掲載) 

◆東京中野クラブ長
 阿部一郎(Abe Ichiro)師範

「道場長インタビュー」の第13回は、東京中野クラブ長・阿部師範の登場だ。

かつてあった八王子柚木道場に入門(後に米軍横田基地道場に移籍)。爾来18年の修行を重ね、現在は都心中野のクラブを主宰する。

ビジネスで培った堪能な英語力を駆使し、海外支部やゲスト等の折衝、調整にも大きく貢献。東京本部(旧関東支部)の国際化に尽力してきた指導者の一人である。

恵まれた体格とストイックな鍛錬を武器に、生涯現役の心意気で修行の道を邁進する阿部師範の素顔をご紹介する。

      

■まずは生年月日から教えてください。

1961年(昭和36年)12月31日生まれの54歳です。


■ご出身は?

現在クラブを運営している東京都中野区の中野坂上で生まれました。


■英語がご堪能ですが、どんなお仕事をされているのですか?


国際航空貨物の仕事をしています。英語力は必須の仕事ですね。


■子供の頃の夢は何でしたか?

外国航路の船員になって、世界中を廻ってみたいと夢見ていました。高校生の頃には空手の指導者になってアメリカで教えてみたいなんて考えていた時期もありましたけど。


■趣味や特技、好きなスポーツを教えてください。


趣味は空手(生活の一部)、音楽鑑賞ですかね。特にエルビス・プレスリーのファンなんです。エルビスは韓国系空手の八段で、アメリカでの空手人気に対する貢献は非常に大きなものがあるんですよ。好きなスポーツはアメリカンフットボールで、春と秋の関東リーグの試合はかなり観てますし、正月の日本選手権ライスボールなんかも観戦してます。


■他流派のご経験もあるとか?

そうなんです。高校時代に品川戸越公園にあった糸洲流系道場に2年間通ってました。上地流は1998年8月に入門してから18年が過ぎたところです。


■上地流修行のきっかけは?


空手への憧れを捨てきれず、月刊誌などをみていつか本格的に稽古をしてみたいと思っていたところ、当時たまたま読売新聞に八王子柚木道場(当時)の記事が載りました。空手発祥の地である沖縄伝来の空手で、直接打撃の流派と紹介されており、藤本先生に連絡して入門させてもらいました。


■米軍横田基地道場時代の印象に残っていることなどをお聞かせください。

少々横田基地道場の沿革についてお話しておきます。
横田基地道場は、創設者であり師匠であるRichard Luote氏が米国に帰国して一次中断することになりましたが、私と兄弟弟子にあたるWesley Simpson氏は八王子柚木道場に通い稽古を続けました。2人とも初段を取得した段階で、横田基地内での稽古を再開することになったんです。
私が2段に昇段し指導員資格を得てから会員を募集し、正式に横田基地道場としての活動を再開しました。その後、当初活動の場であったNatatoriumのGymが諸事情で使えなくなり、困っていたところ、少年会員保護者の好意で、Mendel Elementary School のGymを使わせていただくことになりました。しかしながら、最後の門弟である海兵隊所属のFisher 少佐が転属し、遂に閉鎖を余儀なくされたんです。長い歴史があったので残念でしたが・・・。

稽古以外にも楽しい想い出が沢山あり、今から10年ほど前になりますが、八王子柚木道場時代の兄弟子、Wesley 氏と一緒に基地内のEnlisted ClubのDiscoでテキーラを何本も飲み、基地から出た後で国道16号線沿いにある某運送会社の駐車場で寝込んでしまったり、Richard 先生の空軍退役セレモニーに参加したり、当時基地副司令官であったJoel Young 中佐の結婚式に呼んでいただいたり、NCO Clubで行われたMarinco Birth Ballに呼んでいただいたり・・・などなど、空手をやっていなかったら到底知り合う事もない方々と親交を深めることができたのはラッキーでした。



かつての米軍横田基地道場でのひとコマ(右端が阿部師範)


■上地流を学んで良かったと思う点を教えてください。

上地流の稽古内容、思想は武道空手としての色が濃く、また生涯空手として年齢に関係なく稽古を続けることができるという点が気に入ってます。30代で入門しましたが、今まで満足感を持って修行できたことを嬉しく思ってます。


■修行の途中で楽しかったことや辛かったことなどあれば教えてください。

八王子柚木道場時代の話しですが、冷暖房の無いプレハブ作りの道場で、真夏は33℃、真冬は零下5℃という厳しい環境のなか、空間蹴り、突き、腕立て伏せ、スクワットなどを延々と繰り返したことなどは、辛いとか楽しいを超えて、今ではいい思い出です(笑)



■座右の銘を教えてください。

至誠一貫。武術を学ぶ者には必要な信条だと思ってます。

■ご自身の性格と、血液型は?

「愚直」な性格ですね。 。血液型はA型です。


■これからの夢を語ってください。


会社員としてはそろそろ終盤を迎えますが、これからは自由時間が増えますので、上地流の修行と伝承にしっかり取り組みたいと思っています。


■最後に東京本部会員の皆さんへメッセージを一言。

空手の修行は永い目で見て焦らずに継続して欲しいですね。空手を通じた国際交流などにも積極的に参加して、自分の人生に彩を添えて欲しいと願っています。




【道場長インタビュー】(第12回/2016.9.12掲載)
 

◆横浜鶴見道場長
 若月雅明(Wakatsuki Masaaki)師範


「道場長インタビュー」の第12回は、横浜鶴見道場長・若月師範だ。

「剛直」。若月師範を一言で表すには、この2文字がピッタリかもしれない。頑強な肉体と一事にひたすら打ち込む実直な性格は、上地流修行者として理想的かも知れない。

先代道場長・喜納師範から道場を託され爾来、ひたすら自身の鍛錬と後進育成に邁進する寡黙な武術家、若月雅明師範の姿に迫ってみたい。


■まずは生年月日から教えてください。


昭和48年3月11日生まれ、43歳です。


■ご出身は?

新潟県の生まれです。

■普段のお仕事は?

トラックのドライバーをやってますが、体力が無いと難しい仕事かも知れませんね。


■少年時代の夢は何でしたか?やはり格闘家とか・・・

そうですね、格闘家は憧れで、実はボクシングの選手になりたかったんです。結果的に今は唐手をやってますが。


■以前は上地流でも他会派で稽古していたと伺いましたが。

拳優会の松田先生に習っていましたが、先生が沖縄に戻られるため、鶴見の喜納先生に我々門弟を預けられることになったんです。その後喜納先生も沖縄に戻られることになり、結果的に私が横浜鶴見道場を引継ぎました。


■趣味や特技って何ですか?


やっぱりボクシングや唐手の観戦ですね。やっても観ても楽しいですし(笑)

■上地流修行のきっかけは?


最初は子供の健康を考えて入門させましたが、松田先生から「君も一緒にやりなさい」と言われてそのまま入門した感じです。そんな大人会員さんも多いですよね?それで気がついたら、いつの間にか18年やってました(笑)


■上地流を学んで良かったと思う点を教えてください。

何と言っても、「実戦的な唐手」を習うことができたことですかね。私の性格にもぴったりの厳しい流派だと思います。



肩の骨折を押して総本部昇段審査に臨む若月師範(写真右、2016.5)


■修行の途中で楽しかったことや辛かったことなどあれば教えてください。

それは、なんと言っても入門当初に受けた小手鍛えですね。松田先生の小手鍛えは半端じゃなく痛かったのを覚えています。皆さんも入門したら三戦、小手鍛えには衝撃を受けるんじゃないですか?段々慣れてきますけど・・。




■ちなみに座右の銘は何でしょう?


言い古された言葉かもしれませんが、「継続は力なり」です。何ごとも努力は裏切らないと信じてます。


■ご自身の性格と、血液型は?


 血液型はたぶんA型?(笑)です。性格は頑固で真面目ということにしておきましょうか(笑)

■これからの夢は何でしょう?


とにかく、この素晴らしい上地流唐手を一人でも多くの方に学んで頂き、関東の地にもっともっと普及させることです。


■最後に東京本部会員の皆さんへメッセージを一言。

沢山の道場があって、普段はなかなか交流できませんが、皆で力を合わせ、楽しく稽古やイベントで汗を流しましょう!


【道場長インタビュー】(第11回/2016.8.6掲載) 

◆横浜港南道場長
 四ツ谷耕一(Yotsuya Kouichi)准指導員


「道場長インタビュー」の第11回は、横浜港南道場長・四ツ谷耕一准指導員の登場だ。

子供たちへの優しく親身な指導が定評。この春に渡辺加代指導員から道場長のバトンタッチを受け、会員指導と道場運営の重責を一身に担う。

自身も湘南修武館への出稽古などを重ね、次なるステージに向けて鍛錬精進を重ねる一方、首都圏大会では少年会員が多数の入賞を果たすなど、着実な実績作りに成功している。

洗練された港町・横浜での上地流唐手普及拠点として確固たるポジションを築きつつ、会員・保護者の皆さんとともにアットホームな道場作りに邁進する四ツ谷准指導員の素顔をご紹介する。

      
■生年月日からお聞きします。

1972年(昭和47年)8月5日生まれです。ちょうど44歳になりました。


■お生まれはどちらですか?

東京は墨田区で、いわゆる下町育ちです。


■現在のお仕事を教えてください。


職業は会社員です。他の道場長の皆さんと同じく働き盛りの世代として、忙しい毎日を過ごしています(笑)


■子供の頃の夢は何でしたか?

実は子供時代の夢は弁護士になることでした。正義感溢れる職業として憧れましたね。


■趣味や特技、好きなスポーツを教えてください。


趣味はズバリ、「お笑いを見る」ことです。嫌なことがあってもいい気分転換になりますし(笑)。特技は、何とスプーン曲げなんです!パーティなどで時々披露することもありますよ。好きなスポーツは学生時代に夢中になったソフトボールですかね。実は何気に体育会系なんです(笑)。

※編集部から四ツ谷准指導員へのお願い〜次回首都圏大会で模範演武を凌ぐパフォーマンスとして是非スプーン曲げを!(笑)


■上地流修行のきっかけは?


息子が弱虫だったので心身を鍛えてあげたいと思っていたところ、はす向かいに住む初代道場長だった加藤さんに誘われて始めたのがきっかけです。どうせやるなら息子と一緒にやってみようと思ったんです。親子同時入門も結構多いですよね。


■上地流を学んで良かったと思う点を教えてください。

空手を始めてから、あっと言う間に8年が過ぎました。格闘技とは縁遠い生活を過ごしていたのに、今では稽古のなかでですが、近所のオジサン達とドツキ合いするという非日常的な経験ができることが、思いがけずに楽しいですね(笑)



大人同士の厳しい鍛錬も、稽古の後のおいしいビールのおつまみになります!


■修行の途中で楽しかったことや辛かったことなどあれば教えてください。

うーん、辛かったことから先にお話ししますと、道場の先生方がお仕事や家庭の事情で相次ぎお辞めになって、まだまだ未熟な自分が指導者役もこなさなくてはいけなくなったことですね。逆に楽しかったことは、そのような立場になったお陰で、他人のはずの子供たちの成長が、我が子の成長のように感じられたことでしょうか。空手に打ち込む子供たちのひたむきな思いを痛いほど感じながら、一緒に努力して目標達成を果たした時に、保護者の皆さんと呑むお酒は、今まで経験したことがないくらいに格別な美酒でしたね。




■座右の銘を教えてください。

「出る杭になりたい」です。色々なことに鈍い私は、少々叩かれないと自覚も成長もしません。幸いに丈夫な心と体に恵まれましたので、ある程度まではへこたれない自信があります(笑)。平凡ゆえに周囲から甘やかされたりスルーされたりするよりは、少しでも抜きん出て叩かれるくらいの人間になりたいな〜、と思ってます。

■ご自身の性格と、血液型は?

性格は一言でいえば「真面目」。血液型は意外にも?AB型です。


■これからの夢を語ってください。


そうですね、最近感じるのは、「道場」という自分の居場所ができたことです。次は少しずつでもいいので、空手を通じて、子供たちの居場所を作ってあげることができたらいいな、と考えてます。


■最後に東京本部会員の皆さんへメッセージを一言。

道場会員や保護者の皆さんからは日々暖かいご支援を頂いていますが、その他にも東京本部の先生方や他道場会員の皆さんからも親身なご指導やフォローを頂き、本当に感謝しています。横浜港南道場の子供達も元気で優しい子が多いので、これからも仲良くして頂けたら嬉しいです。



【道場長インタビュー】(第10回/2016.6.19掲載)
 

◆逗子道場長
 田所裕基(Tadokoro Hiroki)指導員


「道場長インタビュー」の第10回は、逗子道場長・田所裕基指導員だ。

実はあまり知られていないが、湘南修武館会員では最古参の存在。高校時代、現在の藤沢道場に同級生と一緒に入門。京都市内の大学に進学し、同市で就職後、しばらくして湘南の地に戻り、再び藤本師範のもとで修行を再開した。

現在は鎌倉駅前に構える有名和食店オーナー兼料理長としての激務をこなしながら、逗子道場の責任者として活躍する異色の人材だ。

己の信念を曲げず、若竹のように真っすぐな人生を目指すその姿勢は、指導者陣では最も若手ながら、厚い人望と信頼を一手に寄せる。

上地流唐手の門を叩いて早18年。地道な若武者の姿をレポートする。

      
■少し年齢不詳な感じですが(笑)、まずは生年月日から教えてください。

1980年3月16日生まれの「うお座」です。皆さん一体何歳だと思ってらっしゃるのでしょう?(笑)


■ご出身は?

藤本先生が現在お住まいの茅ヶ崎市で生まれました。

■鎌倉では大人気の和食店を経営されているとか。


古都鎌倉に「鎌倉 六弥太」という和食店を 出しています。今年の9月で丸4年を迎えます。少し宣伝させて頂きますと、名物は豆富ハンバーグ、通称「鎌倉バーグ」です。皆さんも是非一度お越しください。



海外支部ゲストにも鎌倉観光と「鎌倉バーグ」は大評判!


■少年時代の夢も料理人だったんですか?

まさにその通り。子供時代から夢は一貫して料理人でした。幼稚園の時にカレーを作る園内行事があり、ペティナイフを握っていた記憶が鮮明に残ってます。小学校の文集にもズバリ「料理人になる」と書いてあります。その夢を叶える第一歩として、本格的な和食料理が学べる京都市内の大学に進学しました。 


■大学時代は上地流の空手同好会を作って活動していたと藤本師範から伺いました。空手衣の胸にも関西と刺繍があるのはその名残ですか?

そうです。大学空手部を経て、料理の修行兼バイトをしながら、同好会活動もしていました。 藤本先生にもご指導に来て頂いたことがあり、稽古の後、アパートで朝まで飲み明かしたことを記憶しています(笑)


■もう少し京都時代のことを詳しくお聞きしたいですね。

京都には通算10年住んでました。藤本先生のお力をお借りして、上地流の京都同好会を開設。2〜3年ほど活動したんです。今となっては幻の京都道場というところでしょうか(笑)。その間も料理のアルバイトをしながら、そのまま板前になりました。今思えば、もっと大学時代に遊んでおけば良かったなと・・・。早く料理が覚えたい一心で働いてばかりで、大学生活の思い出がほとんどありません。卒業式すら入社式と重なり欠席しましたからね。

板前になってからというもの、寝る時間はほとんどなし、休みもなければ、給料も安い。(ボーナスなんてありません!) 勿論稽古もほとんど出来ません。だんだん唐手とは離れていきましたが、藤本先生は、手紙を送ってくださったり、出張で近くに来られた時はわざわざ会いに来てくださったり・・・。唐手と人の縁をつないでくださいました。

料理修行に一区切りつけ、そんなこんなで神奈川に戻ってきた時は、昔一緒に稽古をしていた平尾先生がご飯に誘って頂いたり、稽古に参加していないのにイベントに呼んで頂いたりしているうちに、「せっかくだから稽古に出たら?」の一言で復活したわけです。いつの間にか36歳になりましたが、気持ちは高校生時代に藤沢道場に通っているまんまの感じかなぁ・・・。まだまだ未熟でご迷惑ばかりおかけしますが、藤本先生、平尾先生、今後ともご指導よろしくお願いします! 



■趣味や特技って何ですか?


趣味は映画観賞と食べ歩きですかね。夜中の静かな時間に観るのがまた格別です。食べ歩きは、鎌倉には人気店、話題の店がたくさんあって、ちょっとでも流行っている秘密や味付けを学べたらと、経営者目線と料理人目線で食べに行きます。 それから、特技は「早寝」です。(笑) 真面目な話、板前時代から睡眠時間もままならない生活を送ったせいか、とにかく寝れることが、貴重で幸せな時間と感じてます。 頭もすっきりしますし、気分も変わります!どこでも、いつでも寝れますよ。


■上地流修行のきっかけは?


高校時代の同級生が先にやっていたので、誘われて見学に伺いました。恥ずかしながら、初めは喧嘩に強くなれたらいいなと軽率な考えで入門したのが きっかけでした。藤本先生のもと、稽古をすればするほど、そんな考えは消えていきましたが(笑)、早いもので、途中でブランクがあったものの、入門して18年が経ちました。


藤沢道場3周年記念誌(1998年)の田所道場長
将来の夢も「和食料理人」と宣言されている

■藤沢道場時代お想い出話を少し聞かせてもらえませんか?

あの頃は、高校同級生が何人か稽古に通ってまして、毎回我慢比べ、強さ自慢で競い合っていました。小手鍛え、ミット、約束組手、型、組手、しまいには三戦鍛えで俺の方が藤本先生にたくさんたたかれた、なんて意味不明な事まで比べあったりして・・・(笑)。なかでも一番悲惨なのは小手鍛え。もう相手が無理というまで本気で叩く、叩く。おかげで体はボロボロ、アザだらけ。そのアザですら俺の方が立派だとか、言いあってましたし・・・。 でも、遠慮なしのそんな仲間と稽古できたのはいい思い出ですね。


■上地流を学んで良かったと思う点を教えてください。

それはそれは、たくさんありますよぉ。素晴らしい先生、切磋琢磨する仲間、目のキラキラした子供たちとの出会い・・・。覚えれば覚えるほど、やればやるほど深くなる技の習得、鍛えれば鍛えるほど強靭になる肉体、耐えれば耐えるほど強く太くなる折れない精神・・・。そんなところに感銘を受けています。
 


■修行の途中で楽しかったことや辛かったことなどあれば教えてください。

うーん、そうですね・・。楽しかったことと言いますか、初めて道衣を着た時と初めて昇級した時ですかね。嬉しかったのは、初めて 組手稽古をした時と沖縄の大会に出れた時。でも、やっぱり念願の黒帯を頂いたときは最高にうれしかったですね。逆に辛かったときは、稽古で体中痛いまま、家に帰らなければいけなかったことでしょうか(笑)




■ちなみに座右の銘は何でしょう?
    
「行き詰まりは新たな展開の一歩」です。 唐手にしても、仕事にしても、人生のいろんな場面で苦悩や逆境に立たされる ことがあると思いますが、この言葉を頭に浮かべ、なんとかなる、チャンスだ!と 考えるようにしてます。

■ご自身の性格と、血液型は?

 よく顔は怖いと言われますが(笑)、30代になってようやく温厚になった気がします。基本は優しいです。(お子さんができたせい??〜編集担当推測)血液型は意外かも知れませんがAB型です。

■これからの夢は何でしょう?


唐手に関しては、このまま生涯現役を目指すこと。逗子道場に関しては大会で全員優勝することです! お店については、早く鎌倉の人気店の仲間入りを果たすこと。「鎌倉バーグ」の名を全国に轟かせることが近い将来の目標ですかね。


■最後に東京本部会員の皆さんへメッセージを一言。

いつも言うんですが、稽古はメリハリをつけて、常に考えながら感じながらやりましょう。単に稽古をするよりも数倍成長するとおもいます。近い将来、どんな黒帯になりたいか自分の頭と心の中で目標を掲げて、これからも一緒に楽しく厳しく稽古に打ち込みましょう!


【道場長インタビュー】(第9回/2016.5.22掲載) 

◆鎌倉道場長
 吉田信一(Yoshida Shinichi)師範代


「道場長インタビュー」の第9回は、鎌倉道場長・吉田信一師範代の登場だ。

恰幅がよく温和でユーモア精神にあふれる人柄から、指導者仲間には「信一さん」と親しみを込めて呼ばれ、何かと頼りにされる存在。

長年東京本部の事務局関係で実務を取り仕切り、首都圏大会の企画運営などに携わる一方で、忙しい仕事の合間を縫って古都鎌倉での上地流唐手普及活動にも余念がない。

藤沢道場で唐手と出会って早11年。次なるステージの五段・師範を目指して修行に打ち込む吉田師範代の素顔に迫ってみた。

      
■まずは生年月日から教えて頂けますか?

昭和40年10月21日生まれで、昨年ちょうど50歳になりました。湘南修武館ではよく知られてますが、10月21日は藤本館長の誕生日と同じなんです!毎年二人で誕生日プレゼントを受け付けてますので、どうぞよろしく(笑)


■お生まれはどちらでしょう?

ご当地藤沢市です。今は死語かも知れませんけど、一応「湘南ボーイ」ですが、実は泳ぎが苦手なんですよね。


■現在のお仕事を教えてください。


地元の某自動車会社系物流会社で働いています。自動車産業はグローバル展開してることもあって、最近は結構仕事が忙しく、てんてこ舞いな毎日です。

■子供の頃の夢は何でしたか?

何だと思いますか?答えは「お寿司屋さん」です。とにかく、昔から食べることが大好きでしたからね。道場関係の懇親会なども、「楽しく食べる」の精神で参加してます(笑)

■趣味や特技を教えてください。まさか「早食い」「大食い」とか??(笑)


はい正解です(笑)。特技というか趣味と言うか・・・何と言っても「いっぱい食べること」に尽きます。特に商店街をぶらぶらしながらの食べ歩きとかは生き甲斐と言ってもいいですね。それから、実は音楽も趣味のひとつで、皆さん信じられないかも知れませんが、大学時代はロックバンドを組んで活動してたんですよ。もちろん髪を長く伸ばして(笑)!担当はベースで、体重は今よりも●●キロは少なかったと思います。

■上地流修行のきっかけは?


実は、子供の付添いで見学に行った藤沢道場で、現鵠沼道場の大山道場長がちょうど体験稽古中で 、「あっ、自分と年の近い人がやってるんだ」と気づき、それまで持ってた空手のイメージとの違いもあって何だか興味が湧いたんです。「硬」だけではなく「硬」と「軟」の調和があるという事も印象深かったですね。

■上地流を学んで良かったと思う点を教えてください。

空手を始めてから、色んな流派があるという事がわかりましたが、上地流は年齢を問わず、自分のスタイルで長く続けられる空手じゃないかと思いますね。組手が強くなりたい、型を極めたい、精神を鍛えたいなど各々の目標に合わせて精進できるという事です。他流派を経験してきて上地流に移ってくる人が多いのも何だかわかるような気がします。



上地流の歴史探訪で伊江島へ(2014.6〜写真右が吉田師範代)


■修行の途中で楽しかったことや辛かったことなどあれば教えてください。

嬉しかったことになりますが、皆さんそうかも知れませんけど、最初の昇級審査に合格した事ですね。当時、まだ30歳代後半で、昇級の達成感を味わった事は何と言っても新鮮な体験でしたし、次の目標に向けてまた頑張ろうという気持ちになりましたね。




■座右の銘を教えてください。
    
「みんなちがって、みんないい」・・金子みすずの詩です。 皆さんも小学生の頃に読んだかもしれませんが、 世の中には同じ人はいません。みんなそれぞれの個性があり良いところ があります。稽古でも皆さんの良いところを引出して伸ばしていきたいと思ってます。

■ご自身の性格と、血液型は?

優柔不断の(?)A型です。人からはO型ですか?とよく聞かれますが(笑)


■これからの夢を語ってください。


そうですね、自分自身としては、まずは健康第一で無理せず長く空手を続ける事ですね。それから、大会事務局担当としての夢は、ちょっと大きく構えて、「上地流世界大会」開催としておきましょうか(笑)

■最後に東京本部会員の皆さんへメッセージを一言。

受験、部活、転勤、異動など皆さんにも生活環境の変化はあるかと思いますが、とにかく続ける事が大事です。これからも無理せず、楽しく稽古していきましょう!  



【道場長インタビュー】(第8回/2016.4.24掲載) 

◆大和道場長
 布田直人(Futa Naohito)指導員

「道場長インタビュー」の第8回は、大和道場長・布田直人指導員。

「寡黙で温厚実直を絵に描いたような人柄」、が指導者仲間の一致した人物評。一方で九州男児の熱いハートを内に秘め、鍛錬修養を本道とするサムライの風格も備える。様々な道場イベントでは黙々と裏方作業をこなし、会員・保護者からも厚い信頼を寄せているのは周知の通り。

昨年3月に藤本館長より新設・大和道場を託され、上地流普及指導の道を歩むと決意を新たにした布田道場長にインタビューしてみた。

      

■年齢不詳の印象がありますが(笑)、お生まれはいつですか?

1965年(昭和40年)8月生まれの50歳です。


■九州男児ですね?

そうです。鍋島藩・葉隠れで有名な佐賀県佐賀市の出身です。


小さい頃の夢などを教えてください。

多くの男の子が夢見たように、プロ野球選手を目指していました。中学で断念しましたが。

■普段のお仕事は何ですか?

会社員です。某メーカーに勤務し、現在はプロ・コンシューマー向けのカメラ事業運営を担当しています。


■色んな趣味をお持ちのようですが・・・?


そうですね、登山とドライブでしょうか。まあ、登山といっても、山頂宴会のために登っているような感じです(笑)。 好きなスポーツはラグビーで現在は観戦に専念しています。今ではスーパースターになってしまったので、あまり公にしたくないんですが、時の人五郎○さんは高校ラグビー部の後輩に当たり、現役時代は同じFB(15番)でした。ですので彼は私の直系の後輩になりますね(笑)。

 
■上地流唐手と出会ったきっかけは何でしたか?


いまお話しした通り、 若い時分から十分にラグビーを楽しみましたので、少年時代に密かに憧れていたブルースリーや空手バカ
一代の後を追い、自分と向き合え、生涯打ち込める空手の修行に改めて取り組みたいと考えたんです。どの流派を学ぼうかと色々調べた結果、上地流は唯一開手拳を使う空手であることを知り、是非学んでみたいと思いました。それに、ネットで知らべると、割と自宅から近い藤沢市内で稽古できることを知り入門させてもらった、という訳です。実は20代前半に1年半程極真空手を修行したことがあるのですが、やっぱりラグビーをやりたくて止めてしまいました。ですから、今度こそは、という思いです。

 
■上地流の魅力などについてお聞かせください。

修行を始めて8年になりますが、90年の歴史を有する上地流を学んでみて、日々自分と向き合い、物事に対してとにかく愚直に打ち込むことの大切さを学べる点が素晴らしいですね。


■修行の途中で楽しかったことや辛かったエピソードを少しお聞かせください。


辛かったことはありませんよ。それどころか、 沖縄の先生、海外の先生、東京本部の先生他多くの方達に知り合えたことは、きっと今後の私の財産になるはずです。多くの上地流唐手の同志と出会い、お互いに切磋琢磨することが、私の心を間違いなく豊かにしてくれていると感じます。



大和道場の立ち上げ記念写真(2015年3月)
最前列右が布田道場長。
小田急沿線在住の皆さんに、上地流唐手の修行機会を提供します。


■座右の銘も教えてください。
    
心、常に、道を離れず、です。かの剣豪・宮本武蔵の遺した名言です。意味はネット等で調べてみてください(笑)

■ご自身の性格と、血液型は?

温厚なんだと思いますね。意外とシャイで人前で話をしたりするのが嫌い(苦手)です。 省エネと言えば聞こえは良いですが、可能な限り楽をしようとするきらいがあるかも知れません。ちなみに、 血液型はO型です。
 


■これからの夢って何ですか?

夢といえるかどうかわかりませんが、55歳位で会社をリタイヤして、その後の人生は、何か世の中の役に立てるようなこと、つまり社会貢献活動などに充てることが出来ないものかと漠然と考えています。


■最後に東京本部会員の皆さんへメッセージを一言。

これからも、会員の皆さんと一緒に上地流唐手を切磋琢磨していければと考えていますので、宜しくお願いします。大和道場道場長として、まだ会員は少ないですが、少しずつ会員が増えるように努力して参りますので、応援を宜しくお願いします。また、大和道場では、角田先生による古武術の稽古も出来ますので、是非お越しいただき一緒に稽古出来れば嬉しいです。




【道場長インタビュー】(第7回/2016.3.27掲載) 

◆鵠沼道場長
 大山 登(Ohoyama Noboru)指導員

「道場長インタビュー」の第7回は、鵠沼道場長・大山 登指導員の登場だ。

真面目を絵に描いたような空手家、そんな表現がぴったりくる。少年会員がほとんどを占める鵠沼道場で、子供たちに懇切丁寧に指導する姿に、保護者も厚い信頼を寄せる。

一方で、自身の鍛錬精進も欠かすことなく、空き時間を作っては藤沢道場で藤本館長や平尾師範からの手ほどきを受けるなど、寡黙でストイックな大山道場長の姿に迫ってみた。

      
■大山道場長は一体何歳なんだろう?とよく聞かれるのですが(笑)

そうですか?(笑)。それではちゃんとご説明しておきますと、昭和43年3月生まれの48歳です。


■お生まれはどちらでしょう?

ご当地藤沢市です。そういう意味では、まさに地元っ子というところでしょうか。


■現在のお仕事を教えてください。何だかとても体格がよいとお見受けしていますが・・・。


某市で消防官として働いています。


■子供の頃の夢は何でしたか?

そうですね。意外かも知れませんが、小さい頃は航空自衛隊のパイロットか白バイに乗って颯爽と走る警察官になることが夢でした。どちらも乗り物に乗る仕事、という意味で共通してますね(笑)


■趣味や特技を教えてください。大山道場長と言えば、道場忘年会で披露される「大山式ぴっぴ体操」が有名ですね(笑)


趣味ですか・・・。そうですね、船釣りですかね。海の上で静かに糸を垂れていると、何だか心も安らぎますし・・・。あっ、それから愛犬(ポッキー)の散歩も趣味と言えば趣味かもしれません。「ぴっぴ体操」も皆さんに喜んで頂いているようで何よりです(笑)


今や、湘南修武館の伝統パフォーマンスに昇華した「大山式ぴっぴ体操」(2014.12の忘年会にて)

■上地流修行のきっかけは?


空手に興味があって道場を探していたんですが、たまたま一番近くが上地流・藤沢道場だったという訳です。振り返ってみれば、入門してからもう12年も経ちますが。

■上地流を学んで良かったと感じていることをお聞きしたいんですが・・・。

良かったことは数えきれないくらいたくさんあるんですが、何と言っても、空手を通じて色んな方々と出会えたことが一番の収穫じゃないかと思います。仕事や遊びを通じた人間関係とは全く違いますよね。


■修行の途中で楽しかったことや辛かったことなどあれば教えてください。

楽しい思い出は数えきれないくらいありますが、忘れられないのはオーストラリア支部設立40周年記念イベントに招待され、現地の先生方や会員の皆さんと一緒に稽古ができたことでしょうか。空手以外にも、普通のツアーではまず行けない手つかずの大自然に触れるトレッキングやホームパーティなんかも体験できましたし。
逆に辛かったことは、道場懇親会で二日酔いに苦しみながらも稽古に出たことですかね(笑)


豪州支部設立40周年記念イベントで。左から3人目が大山道場長。(2014.11、豪州支部道場にて)



■さて、ここで座右の銘を教えてください。
    
努力する人は希望を語り 怠ける人は不満を語る、です。色んな方と接してみて、その通りだなと率直に感じています。

■ご自身の性格と、血液型は?

温厚な性格ということ以外には、自分でも性格はわかりません(笑)。血液型は日本人定番のA型ですよ。


■これからの夢を語ってください。

うーん、難しい質問が来ましたね。色々あるんですが・・・今回は「模索中」ということにしておきましょう(笑)。

■最後に東京本部会員の皆さんへメッセージを一言。

これからも、お互いにいい汗をかいて、楽しく、長く稽古を続けていきましょう!



【道場長インタビュー】(第6回/2016.2.21掲載) 

◆藤沢道場長/湘南テラスモールスクール講師
 平尾裕子(Hirao Hiroko)師範 

「道場長インタビュー」の第6回は、藤沢道場長の平尾裕子師範の登場だ。

今日の東京本部と湘南修武館は、平尾師範の存在抜きには考えられないと、師匠である藤本師範も一目置く。女性会員のリーダーであることはもちろん、組織運営面での長年の貢献には目を見張るものがあり、また週に4日は稽古と指導に打ち込むなど、誰よりも鍛錬精進を欠かさない姿に圧倒される会員も多い。

上地流創流の地である和歌山生まれの大阪育ち。次なるステージの錬士六段を目指し、徹底的に己を磨きこみながら、武術家としての日々を実践する平尾師範の姿に迫ってみた。

      
■さて、杉本潤子師範代同様、レディにお歳を聞くのは失礼なんですが・・心を鬼にしてご質問します(笑)

むむ、本当にこれを言う必要があるのか、ということで卯年の10月8日生まれです(笑)。


■お生まれは上地流創流の地、和歌山とお聞きしましたが?

和歌山県橋本市で産まれ、生後2か月で大阪府堺市に引っ越しました。堺市から河内長野市に引っ越し、今の実家は5軒めの家です。結婚して、尼崎市の新居に引っ越した翌日に主人の異動がわかり、慌ただしく千葉県へ転居。なので子供たちは千葉生まれで、平成9年に藤沢市に引っ越してきました。


■子供時代のことを教えてください。


子時代は、「普通」をめざしていました。何だか変ですよね?高校の文集でも夢は「お嫁さん」と書いています(笑)。うちの父は、「でしゃばる女はあかん」、という考え。もちろん「えらそうな女」もあきません。中学時代には音大をめざそうとしましたが、女の先生なんかになったら嫁に行き遅れると父はあまり賛成ではありませんでした。それでも声楽を習い始め、未熟だったのか声帯が炎症を起こして声がでなくなり、(あ、今でも時々なります)挫折しました。


■普段のお仕事は何ですか?

職業を聞かれたら「主婦」と答えています。道場ではボランティアで空手を教えていますが、JR辻堂駅前に「テラスモール湘南」がオープンする時に、自分でモール内のカルチャースクールに売り込みに行って、現在自分のクラスを二つ持っています。空手を教えるパートの普通のお母さんのつもりでいます。


■三線(沖縄民謡)など多芸多趣味と伺っていますが・・・。


スポーツ観戦はなんでも好きです。プレイするほうは、今はゴルフですかね。ライフタウン道場近くの練習場でレッスンを受けていて、ラウンドレッスンに行くのが楽しみです。スコアはいまいちなんですが、空手パワーが凄いらしく、一緒に回った人たちを驚かせています。反面、家にいるのも大好きで、パッチワークとか、トールペイント、編み物など、いろいろやってきました。今は、その時間がなかなか無くて残念ですが、ガーデニングだけは続けてます。
 

■上地流唐手と出会ったきっかけは何でしたか?


千葉に住んでる頃、息子が4歳から松濤館流の青少年育成部で習い始めました。アクションスターに憧れていろいろ真似するので、暴力と武道は違うことを教えたかったのです。藤沢に引っ越してきて、藤沢道場の見学に行ったときに、「これはベストキッドの空手だ、やりたい!」と息子が言いました。詳しく説明を聞かなくても、見てすぐにわかったようです。娘の桃奈が幼稚園年長になるときに時分もやると言い始めて、まだ小さくて心配だったので、送り迎えに合わせて見学するくらいなら私も一緒にやろうと入門しました。2000年3月のことです。


2004年4月の藤沢道場昇級審査会で(右端が平尾師範)

■上地流を学んで良かった点があるとすればどんな点か教えてください。特に、女性の視点でお聞きします。

本物は昔にあって、それに近づくには自分が変わるしかないこと。何が流行ろうと、時代が変わろうと、本物は変わらないと実感できること、ですかね。やればやるほど、無駄がなくて、理にかなっていると思えます。力対力でなく、剛対剛でもないところが、女性である自分も引け目を感じることなく、相手と向かい合えるのが素晴らしいですね。


■修行の途中で楽しかったことや辛かったエピソードを少しお聞かせください。


子供が大好きなので、自分の子供が大きくなっても、いつまでもかわいい道場の子供たちと一緒に稽古できるのが楽しいですね。辛かった想い出のうち、笑い話になっているエピソードとしては、藤沢道場創設第1号門下生でもあった真柄指導員(当時)の稽古でサンチンの鍛えがきつくて、痛さに涙が出てしまったことでしょうか。勝手に涙が流れましたね。休憩時間に涙が止まらなくなって、しゃくりあげて泣いてしまいました。泣こうと思わなくても、涙が出ると自然と泣くんだ、と知りました。


■今では藤本師範の筆頭門弟ですが、入門当初の印象深い思い出にはどんなものがありますか?


先輩の有段者が大勢いました。個性派が多かったような・・・。それぞれのこだわりを見るだけでもすごく勉強になったと思います。

■各道場へ意欲的に巡回指導されていますが、道場ごとにカラーはありますか?

1週間、違う道場で同じメニューを試みることがあります。大人が多かったり、子供が多かったり、年齢層や経験で反応が違うということだと思います。その反応を見ながら、このやり方は使えるとか、やり方を変えたほうがいいとか、日々研究しています。そんな中でも湘南ライフタウン道場の木曜クラスは大人ばかりで、参加する女性会員がほとんど有段者ということもあり、男性陣が本気で立ち向かってきます。私はいいのですが、男性と稽古なれしていない女性にとっては危険も伴うので、技や言葉でのかわしかたを伝授しているつもりです。


■沖縄の総本部イベントに何度も参加されていますが、沖縄の先生方から学んだことなどを お聞かせください。


昨年1月に先生方のお供をして実感しましたが、空手がすべてではなく、空手のある暮らし、生き方、すべてが空手であるという玉代勢先生の言葉が印象に残っています。具体的に伝えにくいんですが、空手をしていないときの私も含めて、見ていただいたような気持ちでいます。 今の協会がスタートした時に、高良信徳先生に、女性として空手で目指すことを探して、研究を続けなさいと言われました。女性にしか表現できない強さをもとめて、研究し続けなさいという言葉からも、決してゴールがない目標ですね。


■伊江島や和歌山などへ上地流の歴史を調査すべく出向かれていますが、どのような発見が ありましたか?

和歌山は両親の故郷でもあることから、和歌山隆聖館のみなさんからは本当に快く受け入れていただき、嬉しく思っています。実際に和歌山、伊江島を訪れたことで、自分も上地流の歴史のページの中にいるような気持ちになります。初めて会う方も、上地流の空手を修行していることを認め、自然に受け入れてくださる、そんなリスペクトの精神が素晴らしいと思います。


和歌山隆聖館の皆さんと和歌山修武館跡地を訪ねて(2013年1月)
最前列左から二人目が平尾師範。


■さて、ここで座右の銘を教えてください。
    
そんなえらそうなものはないのですが、空手に関して頭にあるのは娘の桃奈に言われた言葉で「ママ、嫌だったら、やめれば? 空手は好きでやってるんでしょ?」ですかね。元横綱・北の海が亡くなったときに読んだ記事の中で、「育ててもらった恩がある」という言葉を読んで、私も育ててもらったんだと共感できました。北の海のことは特に好きでもなかったのに、亡くなってから尊敬しています。

■ご自身の性格と、血液型は?

生真面目な性格のはず、です(笑)。血液型はB型。こだわることにはこだわるけど、気にしないことは全く気にしない感じですかねぇ。



■当会では珍しく、母親・娘二人でずっと修行を続けられていますが、どのような ご感想をお持ちですか?

娘の桃奈との想い出もたくさんありますが、忘れてならないのは、我が家の先陣、啓祐です。先日も鵠沼道場稽古後に帰宅すると、私はベンチコートの下に空手衣を着ていたのですが、その姿を見て、「シッ、シッ」と呼吸をしながら、小手鍛えしようぜ、と向かってきました。習い始めのころは、息子の啓祐にサンチンとか教えてもらっていましたね。いつのまにか、逆転しましたが、同じ道を歩んでいるので、それは自然なことでした。道場ではあまり、自分の子供という感覚はないです。子供からしても同様でとても客観的に見ています。ただ、さきほども述べたように、桃奈に空手の愚痴は通用しません。好きでやっているからこそ、家族が協力してくれるのだと思います。私がかつて東京本部長になったときの大会で、高校生、中学生になっていた子供達は休会中でしたが、「本部長、何しましょうか?」「はい、本部長」って手伝いにきてくれたのは本当に嬉しかったですね。

■これからの夢って何ですか?

いつも健康でいることでしょうか?元気な「おばあ」になることです。自分自身が内からエネルギーにあふれて、人にパワーを送れるような人と人を繋ぐ役割ができたらいいなと思っています。

■最後に東京本部会員の皆さんへメッセージを一言。

空手だけにこだわらず、いろんなことを一緒にやっていきませんか?お父さん、お母さん、子供は大きくなるとどんどん手が離れていきます。一緒にいられる時間を大切にして、目いっぱい楽しん欲しいですね。



【道場長インタビュー】(第5回/2016.2.2掲載) 

◆湘南ライフタウン道場・木曜クラス長
 杉本潤子(Junko Sugimoto)師範代 

「道場長インタビュー」の第5回は、湘南修武館本部道場である湘南ライフタウン道場の木曜クラスを預かる杉本潤子師範代だ。

東京本部を支える女性幹部のひとりで、女性会員にとっては頼りになる求心力的な存在。得意の英語力とコミュニケーション力を活かし、海外からのゲスト接遇なども精力的にこなす。

茅ヶ崎生まれの茅ヶ崎育ち。今日まで、伴侶である杉本孝宏准師範(茅ヶ崎北道場長)と二人三脚で修行&道場指導に邁進。上地流唐手で培った気力・体力をベースに、これからも新しいことに挑戦し続けたいと語る杉本師範代の素顔に迫ってみた!

      
■さて、いきなりレディにお歳を聞くのは失礼なんですが、当コーナーの決まりですのでよろしくお願いします(笑)

昭和47年1月に茅ヶ崎市で生まれました。道場のこどもたちに年齢を聞かれると、いつも23歳と答えています(笑)

■子供の頃の憧れの職業ってどんな感じでしたか?

パートタイムの事務員、パン屋さん、航空機の客室乗務員(CA)などで、CAは実際に試験を受けました。親戚が外資系航空会社勤務だったので、何となく憧れていたのかも知れません。

■ご主人の杉本孝宏准師範とは小学校の同級生と伺っていますが、一体どんなお嬢さんだったのでしょう?

現住所に子供の頃からずっと住んでます。当時は辺り一面がまだ田んぼと畑だったので、田んぼで野良猫を飼ったり、秘密基地を作ったりして遊びまくってた、まさに昭和の野生児って感じでしょうか・・・。好物は「ドラえもんパン」。幼稚園の頃から本が大好きになり、中高生の時分は勉強そっちのけで徹夜で本を読んだりしてましたね。


※編集部で特別に「ドラえもんパン」のサンプル画像をご紹介


■杉本師範代といえば、「韓流女王」と噂されているようですが、真偽のほどは?また、趣味や特技も是非お聞かせください。

はい、確かに韓国ドラマは大好きですね(笑)。ほかにはお友達ととことんお喋りすることが趣味ですかね。特技は愛情一杯のお弁当作りとか・・・。実はスポーツは全般的に苦手なんですが、息子のラグビーの試合はせっせと観に行ってますよ。

■上地流唐手を修行してやがて12年になるそうですが、きっかけは何でしたか?


子供に是非武道を学ばせたかったことと、家族全員で共通のことに取り組みたかったことですね。ネットで道場を探していたら、藤本先生の元に辿り着きました。見学の翌週には何と空手衣が自宅に届き(笑)、先生のカリスマ性にすっかり惹き込まれてしまった感じです。


※野外稽古模様(2005.9)。手前左が杉本師範代

■上地流を学んで良かった点は?

空手の流派などについては何も知識が無かったんですが、藤本先生が歴史の紐解きや編集をされているため、時分たちの修行している流派について、また他流派についてよく考えるようになりました。そのなかで上地流の良さは、老若男女が地球規模で同じ稽古をしているところでしょうか。男女を問わず、小さな子供から人生の大先輩までが同じ道場で学べる流派というのは、意外と少ないのではないでしょうか?道場内では幅広い世代交流があるため、自分の未来像や過去を重ねて学ぶことも多いような気がします。また、空手を通じて海外の方々と交流できるなんて思ってもいませんでしたが、色んなイベントを通じて交流が叶い、海外の方の熱心さには、日本人として学ぶ点がたくさんあります。

■修行の途中で楽しかったことや辛かったエピソードを少しお聞かせください。

まず、楽しかった方から言うと、 空手を通して色々な方と出会えたこと、そして、オーストラリアや沖縄へ「空手」という目的を持って行かれたことです。また、
家族で同じ稽古をすることができたことはとてもいい思い出で、これからもその機会を楽しみにしています。 最近は、道場の子ども達がどんどん成長していく様子を見ることがとても楽しいです。ほとんどおばあちゃんの心境でしょうか(笑)。
逆に辛かったことではないですが、級審査や大会出場は最初はとても緊張しましたね。試験(審査)などは大人になってから無縁になっていたので、それもまたいい経験だったと今では思っています。一番最初の級審査では、藤本先生のご子息・哲也くん(当時中学生)に励ましの言葉をもらい、その言葉を頼りに震えながら頑張ったことを今でも記憶しています。

■厳しい鍛錬がウリの上地流唐手を女性として修行し続けていることの感想を是非伺ってみたいのですが・・・。

いい質問ですね(笑)。正直、続けられるかな?と半信半疑のまま、日々が過ぎていきました。最初は小手鍛えや約束組手で手足があざだらけになり、半袖になる夏には周りのお友達がびっくりしていました。仕事場では特に何も聞かれなかったので、DVと思われていたかもしれません(笑)
痛みには弱いんですが、「痛い!痛い!」と言いつつもあざが出来たり、筋肉痛になったりすることが、もしかしてもしかすると嫌いじゃないかも??という自分に気付きました。男性と同じような力強さはありませんが、女性ならではのしなやかさを武器に、突き・蹴りのスピードを上げ、「女性ならではの空手」を求めていきたいと思います、なんちゃって・・・(笑)。



■さて、定番の質問で恐縮ですが、座右の銘は何でしょう?       
「待てば海路の日和あり」ですね。人は生かされている存在だということをいつも実感してます。

■ご自身の性格と、参考までに血液型を教えてください。
血液型性格診断はナゾですが、典型的な?A型で、家ではテレビのリモコンが斜めに置いてあるとまっすぐに直しちゃったりしたくなります・・・。でも、全般的にそうなわけではなく、ずぼらでボケボケなところもたくさんあるので自分でもどんな性格なのかは結局ナゾです(笑)。

■これからの夢を聞かせてください。

うーん、・・・ ひとつは生涯自分の足で歩けるように稽古を続けること、それから、 自分自身の人生を生きることでしょうか。家庭内CEOとして頑張ってきましたが、家族にはそろそろ自立してもらい、もっと色んなことにチャレンジしていきたいと思います。


■ご夫婦で一緒に修行していることの感想を、どうしても聞いてほしいとのリクエストがありましたので是非!

 
     
最初はほぼ無理やり見学に付き合ってもらった夫ですが、今は一番空手にはまっています。そんな夫がいなかったら、私はとっくに辞めていたと思います。元々体を動かすことが苦手なので、毎週土曜日に朝からせっせと通うことはとてもしんどいと思う時期もありました。しかし夫は体を動かすことが大好き!嬉々として通っていましたので、私もそれにつられて付いて行き、終わったら「やはり体を動かして気持ちよかったなぁ」と思う日々でした。
あれから12年・・・、手前味噌ですが共通の話題があるということが夫婦円満の秘訣となっているようです。普段の稽古や大会などでも、家に帰って来てからのフィードバックが出来るということが一番よかったなと思うことです。

■最後に東京本部会員の皆さんへメッセージを一言。

湘南修武館本部道場・木曜クラスの指導員としていつもお世話になっております。あまり稽古に出席できず、平尾師範にお世話になりっぱなしです。ありがとうございます。平日昼間の時間帯ということで、年齢層と意識が高め(?!)のクラスではいつも私が勉強をさせていただいております。指導者として、こんな意識ではいか〜んと思いつつも、等身大の自分で向き合わせていただいています。皆様と共に少しずつ成長していかれたらと思います。これからもよろしくお願いいたします。



【道場長インタビュー】(第4回/2016.1.11掲載) 
◆湘南修武館 館長 藤本恵祐(Keisuke Fujimoto)師範 

「道場長インタビュー」の第4回は、湘南エリア9道場を統括する藤本師範の登場だ。
東京本部長として、都内、横浜市内の道場運営支援も手掛ける立場にある。上地流修行一筋36年。最初の活動拠点である藤沢道場を開設してから21年目を迎えるが、沖縄とどことなく雰囲気が似ているこの湘南エリアで、上地流唐手を普及発展させることに、とことん情熱を傾ける。熊本県出身 。九州男児の典型か、はたまた伝統の「肥後もっこす」の影響なのかは不明だが、頑固一徹な性格は皆さん既にご存知の通り。しかしその一方で、ジョーク大好き、宴会大王の異名を持つなど、まさに「硬軟自在」で掴みどころのない存在だ。修行の傍ら、流祖・上地完文先生の伝記を刊行するなど、 50歳を超えても益々意気盛んな藤本師範に、いままでの唐手人生の歩みとこれからの夢などについて熱く語ってもらった。

       
■ご出身地について詳しくお聞かせください。

昭和36年10月に熊本県宇土市住吉町という漁村で生まれました。Googleマップで見てもらえればわかりますが(笑)、何にもない田舎町です。母方の実家が有明海で海苔の養殖や米作りを手掛けていた時代があり、5歳まで実家で育ちました。もちろん、子供ながら海苔の加工や田植えなど手伝っていましたよ。

■上京されたきっかけは?

熊本市内の高校を卒業して中央大学(八王子市)に進学したのがきっかけです。とにかく田舎育ちの私にとっては、テレビや雑誌で見る東京が眩しくて仕方なかった。よし、いつかは俺も東京で暮らすんだと・・・。戦前に、両親の実家や親戚からブラジルやハワイへたくさんの移民を出しており、私の母親も実はブラジル生まれなもので、もともと外に飛び出したいというDNAが埋め込まれてたのかも知れませんね(笑)

■どんな子供時代だったんでしょうか?

う〜ん、そうですね・・・田舎でしたけど、母方の祖父母がブラジルへの移民を経験していたせいか、なぜだか実家は「ハイカラ」な家庭でした。昭和30年代後半で既にテレビ、電話、自家用車などがあったし、今でいう通販の子供用月刊教育雑誌なんかも取り寄せてくれていましたから。そこにも東京の様子などが写真で載ってる訳ですよ。そりゃ都会に興味が湧きますわね。しかもブラジル、ハワイから親戚(二世、三世)がししょっちゅう訪ねてくるもんですから、さらには外国にも憧れて・・・(笑)まあ、多感な少年期を田舎町ながらも、ちょっと刺激的に過ごしていた、という感じでしょうか。ただ、やっぱり楽しかったのは近所の遊び友達との田んぼでの泥投げ合戦やビー玉・メンコ遊び、昆虫採集なんかでしたね。今となっては昭和の古き良き時代の思い出です。あっ、憧れの職業もお話しするんでしたね・・・。パイロット、英語教師、警察官・・・。夢は無限で、しかもくるくる変わってました(笑)


■お父さんも空手家だったとか。

若い頃、確か空真流?とかいう流派を修行したようで、子供の頃に多少手ほどきをしてもらったことがあります。しかし、小学校時代は剣道、サッカー、水泳に夢中。入学当初は典型的な肥満児だったのが、あっという間に標準体型になりました(笑)。中学では陸上部に1年間在籍しましたが、やっぱり勉強しなきゃ東京に行けないと思い直して退部し、後は徹底的に勉強に専念しました。しかし、その時も高校か大学に進学したら空手を正式に習おうと心には決めてました。結局高校時代も遠距離通学だったこともあり、部活はせずにひたすら東京目指して勉強の日々でしたが。


■大学入学以来、上地流唐手を修行して36年になるそうですが、最初はどこで習われたんですか?


アパート近隣の道場です。当時は「半硬軟流空手道連盟・八王子守礼館」という看板で、下柚木というこれまた田舎の(笑)岡の上にある剣道場(錬心館)を借りてました。今の首都大学東京の裏門近くですが、当時は夜にはタヌキも出るような場所でした。大学に入学して八王子市内にバスで道場探しに出向くとき、そのバス停に会員募集の道場チラシが偶然貼ってあったんです。そこでバスには乗らずにそのまま道場見学に出向いて、一目で惚れて(笑)即入門したという訳です。もしチラシが貼ってなかったら、今頃は他流派をやっていたかも知れませんね。ちなにみそのお宝チラシは今でも「ゆめかなかん」に保管してあります。


■入門当初の稽古の様子や師匠の思い出などをお聞かせください。

いやー、稽古はきつかった。とにかく・・・。週3日から4日、2時間半くらいみっちり稽古してましたから。しかも先輩・指導員の皆さんが自由組手や小手鍛えとかガチンコで鍛えてくれるもんだから、体中痣だらけ。骨折も何度も経験しました。今当時の稽古をしたら誰も道場には来なくなるでしょうね(笑)。そんな感じだから門下生も10人くらい。だから余計に「個別指導」の機会が増えて大変だったんですよ(笑)。入門当時の師匠は今の「下地派上地流」の下地康夫先生です。しかし、1年くらいで八王子市内に自宅兼道場を出されて移られたので、それ以降は亡くなられた山田親和先生(沖縄県宜野座村出身)に師事しました。とにかく真面目で優しい先生でして、ときどき飲みに連れていってもらっては、色んな「社会勉強」をさせて頂いたもんです(笑)。入門して2年目の夏休みに、熊本の実家に帰省して、上半身裸になって庭先で三戦の稽古をしていたら、母親が上地流独特の筋肉の盛り上がりを見てびっくりしていた記憶があります。週3、4日ながら1年も稽古に打ち込むと、それだけ身体が変化してしまうもんなんですね。


※八王子柚木修武館・副館長時代(1994年6月)の写真。最前列中央が故・山田親和先生、右隣が藤本師範。
  毎週土曜日に藤沢から八王子へ車で指導に通った。1995年に藤沢道場を設立して独立、今日に至る。


■20周年記念DVDでも「人のために生きる」を信条と語っておられますが、その真意はどこにあるんでしょうか?      


皆さん唐手を修行する目的は色々でしょう。護身、健康、仲間づくり・・・。いずれも大いに結構なことです。でも、それらは全て「自分のため」ですよね。そうではなくて、私は「人のために役立つ人間」になることを、唐手修行のベースに据えて欲しいんです。昨今の世の中は、競争主義、営利主義がはびこり、人間関係が少しがさついているような気がしているのは私だけでしょうかね?そうではなくて、人間がお互いに「人のために生きる」という感謝報恩の気持ちで暮らすことができたら、とっても豊かな社会が実現できると思うんです。人間は自分だけでは生きて行けない弱い存在じゃないですか。だからこそ助け合う。しかし、「人のために生きる」には、まずは己の心身を強くする必要があります。そのためにこそ唐手の修行を役立てて欲しいんです。特に、自分より弱い者、助けや支えを必要としている者に喜んで手を差しのべる「強さ」を養って欲しいんです。空手の試合で優勝したり段位を極めることなんかを終局の目標にしてはダメですね。我が湘南修武館、そして東京本部の皆さんには、きっとこの想いは理解してもらえると信じています。



■どんな性格ですか?自己分析をお聞かせください。
ご存知の通り頑固で融通が利かない性格です。でも人を喜ばせるのが大好きな性分で、いつもギャグやお寒いジョーク連発で皆さんにご迷惑をおかけしてます(笑)

■ご家族は藤本師範のことをどう思ってらっしゃるのでしょうか?
子供二人とも道場で習っていましたが、家では唐手の話はほとんどしたことがありません。仕事のこともそうですし・・・。まあ、家族にとってはごく普通のオヤジさんてところじゃないでしょうか?ひょっとすると余りにもはまり込み過ぎてるせいで、家族として唐手のことは話題にしにくいのかも知れませんけど(笑)。でも、家族に感謝です。

■これからの夢を聞かせてください。
 
     
まずは生涯現役。棺桶に片足を突っ込むまで稽古を続けたいですね。いや、あの世に行っても道場を開くつもりです(笑)。それから、道場では既にお話ししてますが、2025年は上地流が和歌山で旗揚げして100年目を迎えます。東京本部、湘南修武館は30周年です。その時は、和歌山、沖縄、東京に世界の上地流唐手家を招集し、盛大なイベントを開催したい。これから10年間も大きな夢を持ち続けられるなんてステキなことだと思いませんか?その夢を東京本部会員・保護者の皆さんと力を合わせて実現したいんです。皆さん、絶対に途中で唐手修行を辞めたらだめですよ!10年後、一緒にお祝いの美酒が飲めなくなりますから(笑)。それからもうひとつ。我々指導陣の後継者を早く育てたい。「心・技・体」の三拍子揃った人財育成が目下の課題であり責任であり夢でもあります。

■最後に東京本部会員の皆さんへメッセージを一言。

いつもお世話になっています、というか沢山のイベント開催でお騒がせしています、といった方が適切かも知れません(笑)。普段は湘南修武館のマネジメントで手一杯で、東京本部長として、都内や横浜の各道場になかなか顔を出せず申し訳なく思っています。これからもチャンスを見つけてお邪魔したいと考えていますが、まずはそれぞれの道場の師範、指導者を信頼して、日々鍛錬精進してください。現在東京本部には約300名の会員が在籍していますが、これからも益々各道場間で交流・連携・切磋琢磨し、唐手の技だけではなく、人間も磨きあげて頂きたいと願っています。



【道場長インタビュー】(第3回/2015.12.23掲載) 

◆茅ヶ崎南道場長 大塚祐介(Yusuke Otsuka)指導員

「道場長インタビュー」の第3回は、茅ヶ崎市のJR東海道線以南の会員を預かる湘南修武館 茅ヶ崎南道場長・大塚祐介指導員だ。

天性の明るく前向きな性格とフレンドリーな人柄で、前任者の藤本館長から託された茅ヶ崎南道場の会員をリードする。

川崎生まれの茅ヶ崎育ち。湘南の地で伸び伸びと成長し、少年時代に野球で鍛えた体力をベースに、43歳の現在も組手試合現役出場にこだわる大塚道場長に、今までの歩みと今後の夢などを語ってもらった。

       
■ご出身は川崎市と伺いましたが。

昭和47年12月に川崎市中原区で生まれました。小さい頃は兄弟同様に育った従妹たち(みな自分よりお姉さん)が住んでいて、楽しく遊んでもらいました。そんな少年時代に、女性の「優しさ」と「怖さ」の両方を学んだ気がしています(笑)


■小学校4年生の頃に茅ヶ崎市に引っ越してこられたそうですですね。

香川小学校に転入し、鶴が台中学校、茅ヶ崎高校と進みました。高校卒業後は海老名市に本社がある富士コカ・コーラボトリング梶i現在のコカ・コーライーストジャパン梶jに就職し、それ以来33年間ずっと茅ヶ崎で暮らしています。
※大塚道場長のご縁で、コカ・コーライーストジャパン社様より、毎年「首都圏大会」に協賛スポンサーのご協力を頂いています。



■中学時代は野球部所属だったそうですが、やはり少年時代の憧れの職業はプロ野球選手だったんでしょうか?

確かにプロ野球選手に憧れましたが、実は同じプロでもプロレスラーにも憧れていたんですよ(笑)。プロ野球選手といえば何と言ってもジャイアンツの長嶋選手、王選手の大ファン。プロレスラーは定番の「燃える闘魂」・アントニオ猪木が大好きでした。思えば当時から格闘技や武術に興味があり、とにかく強い男になりたかったですね〜。


■高校時代はレスリング部に所属したこともあるとか。

確かにレスリング部に所属していましたが、根性が続かなかった?のと、横浜スタジアムでのアイス売りのアルバイトが忙しく、結局試合経験を積まないまま辞めてしまいました。何だかんだ、やっぱり野球が一番好きだったんでしょうね。今でも高校野球は神奈川県大会の予選はもちろん、甲子園まで応援に行ったりしてますから。


■上地流唐手を修行して11年になるそうですが、きっかけは何でしたか?


長男が幼稚園児の頃、当時から親しくお付き合いしていた杉本准師範ファミリーと一緒に、茅ヶ崎道場(当時)へ見学に行ったのがきっかけです。息子だけが入会のはずが、どういう訳だか杉本ファミリーともども一家4人でまとめて入会していました。上地流唐手の独特の技使いと藤本館長のユニークな人柄に魅かれたのだと思います。


※設立当初の茅ヶ崎道場稽古模様(海岸コミセン/2004.12)

■上地流を学んで良かった点は?

一番は人との出会いですね。年齢も職業も違う人達と道場でお互いに鍛え合う。 普通に生活しているとなかなか出会う機会が無いと思われる沖縄や海外の先生方とも素晴らしい交流を持つことができましたし。 特に今年の東京本部20周年記念イベントでは会員・保護者・指導者の協力のもと、我々仲間が本当の意味で一つに成れたと実感しました。


■座右の銘は何でしょう?       

定番かも知れませんが、「継続は力なり」でしょうか。自分と唐手との関りは、まさにこの言葉で十分表されていると思っています。「何事も休まずに長く続けていけば必ずや自分の身になり力になる。途中であきらめたり止めたりせず、コツコツ努力する。」 このスピリッツを胸に刻み、上地流唐手をこれからもずっと続けてゆこうと心に誓っています。





■どんな性格ですか?自己分析をお聞かせください。

性格はお調子者。お酒が進むと一段とエスカレートします(笑)。ちなみに血液型はB型です。 


■修行の途上で楽しかったことは?

旧茅ヶ崎道場の同期入門の仲間(杉本准師範、山本師範代、上地師範代、鴻巣指導員など)が、現在も一緒に修行を続けていることですね。


■逆に辛かったことは?

組手の稽古を始めた頃、東京本部主催の首都圏大会以外にもいくつか他流派主催の試合にも出場していましたが、 全身が打撲による激痛のなかでも、翌日には歯を食いしばって仕事に向かったことでしょうか。
 

■これからの夢を聞かせてください。
 
     
今年の4月に茅ヶ崎南道場長に就任しました。藤本館長直轄として活動して来た道場を任される事については、大変なプレッシャーを感じていましたが、会員・保護者の皆様は温かく私を迎えて頂きました。現在稽古場所としてお借りしている茅ヶ崎福祉会館は、施設の老朽化に伴い、3年後に茅ヶ崎公園球場内(サザンオールスターズのライブの聖地とも知られる)に、隣接の茅ヶ崎青少年会館と統合という形で生まれ変わる予定です。現在よりも「サザンビーチ」に近くなり、「潮風と波の音を聞きながら稽古できる道場」、「海に一番近い道場」 という点をアピールして、茅ケ崎=沖縄=上地流と言われるような道場を目指します。


■最後に東京本部会員の皆さんへメッセージを一言。

新米道場長、そして東京本部・組織強化部長として4月から突っ走って来ました。 まだまだ自分自身の稽古が足りない・・・大会では選手として出場してもまだまだ修行不足を痛感・・・。 そんな私ですが唐手が大好き!上地流が大好き!湘南が大好き!茅ケ崎が大好き!皆と騒ぐイベントが大好き! カラオケが大好き!etc・・・。
唐手修行とイベントでの切り替えが上手く両立できる指導者になるのが自分のこれからの課題だと感じています。 東京本部、湘南修武館の両ホームページで、飲んではしゃいでいるシーンよりも、一生懸命稽古している自分の姿がたくさんアップデートされるよう、精一杯頑張りますので、よろしくお願いします。



【道場長インタビュー】(第2回/2015.12.10掲載) 

◆茅ヶ崎北道場長 杉本孝宏(Takahiro Sugimoto) 准師範

「道場長インタビュー」の第2回は、「サザンオールスターズ」と「サーフィン&ホノルル姉妹都市提携」で今や全国区となった茅ヶ崎市の、JR東海道線以北を対象エリアに活動する湘南修武館 茅ヶ崎北道場長・杉本孝宏准師範だ。

指導方法の的確さとわかりやすさは天下一品!自身の修行経験に裏打ちされた実戦技法を随所に織り込むなどの創意工夫を重ねつつ、少年会員を中心に首都圏大会のチャンピオンメーカーとして、不動の地位を確立した。

茅ヶ崎生まれの茅ヶ崎育ち。湘南の地を誰よりもこよなく愛し、 生涯現役を心に誓う杉本准師範に、唐手にかける「熱き心」を語ってもらった。

       

■ご出身は茅ヶ崎だと伺いましたが、お生まれはいつですか?

1971年4月3日、何とジャイアンツの高橋由伸新監督と同じ誕生日なんです小学校は鶴嶺小学校で、その意味では完全なるジモティーと言えます。ちなみに、カミさん(杉本潤子師範代)は小学校時代の同級生だったりして、小さい頃の同級生女子は色んな意味で大切にした方がいいというお手本なのかも知れませんね(笑)。


■小さい頃の夢と現在のお仕事を教えてください。

子どもの頃はプロ野球選手になるのが夢でした。 野球してるか、イタズラしてるか、今思えばカツオ君?いやそんなに古くはないかな・・・。そんなワルガキだった私ですが、現在はIT企業に勤めています。子どもの頃は全く想像もしていない仕事ですが、結構合ってたのかなと思います。今年は湘南修武館で「仕事塾」というプロジェクトも始まりましたが、とても良い企画だと思います。
少年会員の皆さんには、色々な仕事があることを知ってもらい、そして夢の幅を広げて、今は存在すらしていない新しい仕事を企業してもらう位に育ってほしいですね。


■鉄板の質問である趣味とか好きなスポーツもお聞きしておきましょう。

あまり話した事はありませんが、実は野球オタクです。 特に高校野球は大好きで、横浜対PLの延長17回は今でもよーく覚えています。高校野球は選手のあきらめない姿が感動を呼ぶんですよね。野球もサッカーもラグビーも(はい!にわかラグビーファンです)、もちろん空手も、気持ちで負けない!あきらめない!これ重要です。


■上地流唐手を修行して11年になるそうですが、きっかけは何でしたか?


実は上地流がなんたるかを判って入門したのではありません。 家内が子どもに空手を習わせたいとホームページで問い合わせし、たまたま見学したのが上地流だったんです。 最初はどちらかというと乗る気ではなく渋々見学についていったのですが、気が付いたら、どっぷりハマってしまいました(笑)


※少年会員に指導する杉本准師範(2007.9)。右写真は沖縄初遠征時(2006.7)

■上地流を学んで良かった点は?

空手には多くの流派があり、それぞれが素晴らしいことを知りました。 逆にわかってしまった!?上地流の特長は、サンチンを筆頭に、小手・下肢鍛えと、正直痛い事ばかり(笑)。 ただ、見栄えも悪く地味ながら、有事の際には身を守れる武術、そんな上地流を学べている事を誇りに思っております!

■逆に楽しかったことなどはありますか?       

一番良かった事は、多くの仲間に出会えたことですね。 また、道場の子ども達が成長する姿を見れることも楽しみのひとつです。 辛かったことと言えば、茶帯位の頃の「へそトラブル」ですね・・・何の事かわからない方も多いとは思いますが(笑)
 ※「へそトラブル」の詳細については、直接ご本人に確認ください(By 編集部)


■ここで座右の銘などをお聞きしておきましょう。
       

逆境の時こそ真価が問われる。 毎日、がけっぷちですが(笑)、いつもこの言葉を自分に言い聞かせていますね!


■さらに、ご自身の性格についてご披露お願いします。ひょっとしてネアカですか??

いつも楽観的な典型的なハッピーパーソン。調子に乗り過ぎて後から後悔することもしばしばの典型的なO型です。


■これからの夢を聞かせてください。
 
     
道場の継続と発展でしょうか。少年会員達が大人になって、また道場に通える位、長く続けていきたいです。 その為に活気ある道場を目指しています。子ども達が元気だと活気があると思われがちですが、実は大人が元気に手本を見せること、これが大事かなと。帯のランクが高いほど元気がある道場、それが目標です。

■最後に東京本部会員の皆さんへメッセージを一言。

空手を続けられているのは、私の場合は家内や子ども達のおかげです。 最近思うことは、生活というベースがしっかりあって、はじめて道場に通うことができるということです。 やっぱり、まずは家族の為にも本業(本文)を一生懸命がんばることが大切なのかなと。生活を充実させることで稽古も継続できる、継続した稽古は、自身の成長につながり、今度は本業(本文)にも良い影響を与えてくれる。この好循環が感じられるようになると素晴らしいですよね。上地流唐手を通じて心身ともに豊かな人生を過ごせることを願ってます。今後も皆さんと切磋琢磨したいと思います!




【道場長インタビュー】(第1回/2015.11.29掲載) 

◆ 平塚道場長 山本 創(Hajime Yamamoto) 師範代 

「道場長インタビュー」の第1回は、東京本部加盟道場で最も西に位置する湘南修武館 平塚道場を預かる山本 創 師範代が登場。

物静かで温厚、誠実な人柄は道場会員、保護者からも厚い信頼を寄せているが、一方で過去には首都圏大会で好敵手・杉本孝宏 准師範(茅ヶ崎北道場長)と組手試合で一歩も譲らない死闘を演じるなど、スレンダーな外見からは想像できない熱血ファイターでもある。

修行12年目を迎える今日、己を磨き込み更なる高みを目指す山本師範代に、これからの抱負などについて聞いてみた。

       

■ご出身はどちらですか?

愛知県岡崎市の柱町というところで昭和42年7月に生まれました。小さい頃は近所のスーパーや駄菓子屋、おもちゃ屋などに入り浸る少年でしたが、愛知支部・豊田倶楽部の稲垣会員とは生まれた町も同じで、年代も近いし、ひょっとしたら店で会っていたのかも知れません。偶然とは言え、色々ご縁を感じますね。

■小さい頃の夢と現在のお仕事を教えてください。

子供の夢は何といってもプロ野球選手でしたね。小学3年生時代の文集に「甲子園出てプロ入り、1番、センターで背番号は7」なんてかなり具体的に自分で決めていたくらいですから(笑)。一方で、アクションスターのブルース・リーにも憧れ格闘技も大好きでした。現在は住宅設備メーカーに勤務し、オフィスは地元茅ヶ崎にあります。

■上地流唐手を修行したきっかけは何でしたか?

子供の体操教室で母親同士たまたまお話をした方が、先に入会されていた杉本潤子師範代(湘南ライフタウン道場木曜クラス長)だったんです。そろそろ子供に空手を習わせたいと思っていたところでしたので、まずは稽古を見学させて頂くことになり、そのまま家族そろって入門となったんです。


※海外からの留学生に指導する山本師範代(写真左手、2008.12)

■三戦、小手鍛えなどの鍛錬は辛くなかったですか?

稽古が辛かったこともありますが、会社員ですので週末飲みすぎてからの土曜日朝稽古が何と言っても堪えましたね〜。実に辛い(笑)。でも、体を動かして汗かいて、大きな声を張り上げていると飲み疲れもそうですが、ウィークデイに溜まった嫌なことなども全て忘れられるようです。 同じような思いで稽古されている同志がたくさんいるようですが、老若男女様々な境遇の方々がそれぞれ全く別の環境にいて、稽古の日になると道場に集まってそれぞれの目標に向かって汗を流す。これって、何とも言えない充実感溢れる瞬間ですね。キツイ、痛い、の辛さも皆で共感しながら稽古することで楽しみに変わってしまいます。

■上地流の魅力について教えてください。        

       
上地流は実戦を想定した武術だと思います。足先、貫手、小手等の部位をしっかり鍛えてこそ、初めて実戦に耐えれるわけで、単なるスポーツとしての空手と違ってそれだけに奥が深く、長年の地道な鍛錬を要する、極めて道のりの長い流派だと感じます。つまり、修行に決して終わりがない、というところが魅力でしょうか。

小さい頃から「最小限の努力で最大の効果を生み出す」をモットーに生きてきました。物事の意味や価値をしっかりと考え、不要と判断することには無駄に手を出さないという意味なんですが、上地流は両手両足に遊びが無く、そして無駄な動きをしない。そんなところが私のモットーに相通じるところがあり、すごく共感しています。


■どんな性格ですか? ご自身のことを普段「自分は」とおっしゃってますね。

鉄板の質問ですね(笑)。自分自身でも十分に掴み切れてはいませんが、硬派一徹でまじめな性格だと思います。たまには羽目を外すこともありますが、心にはいつも正義感が宿っているようです。
曲がったことが好きでない方ですが、それだけにたまに曲がってみるのは良い気分転換になる場合がありますね。上地流唐手に例えるならば、通常は正拳突き、時には廻し突き、といったところでしょうか? 自分でも何だか意味不明なことを言ってしまうのも一つの特徴ですね。あっ、それから聞かれてませんが、血液型は「B」ですのでご参考まで。


■これからの夢を聞かせてください。
 
     
平塚道場は開設後丸7年、私が道場長を務めてから4年が経過しますが、現在比較的新しい会員さんが大半を占めるまだまだ若い道場です。最近ようやく組手のできる級位の会員さんが出てきたばかりですが、この先どんどん道場が育っていくことを考えると 非常に楽しみな思いでいます。今は稽古にもしっかり集中できていて、すごく良い雰囲気ですし、近い将来、平塚道場の生え抜き会員から黒帯も出ることでしょう。級位・段位が上がっていくことだけでなく、稽古で汗を流してゆく中で、人それぞれが成長してできれば最高ですね。
人が変わって行く姿を見るのは感動的なもので、最近特に、入門したての子供たちの姿を見に焼き付けておこうと意識しています。ふと気付いたときに、入門当初に比べて格段に成長している姿を今後もずっと見てゆきたいですし、私自身も一緒に成長したいと願っています。

■最後に東京本部会員の皆さんへメッセージを一言。

東京本部は今年20周年を迎え、今や13道場・会員数300名の大きな組織になっています。他組織に類のない結束力の高い組織で、今後も益々発展してゆくことと思いますが、強固な組織の維持には会員・保護者の 皆様のご協力と熱い思いが欠かせません。今後も一致団結、強固な組織の中で一緒に汗を流して行ければと思っておりますので、末永くお付き合いのほど宜しくお願い致します。




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